龍念寺から車で40分ほど走ったところに、茨城県大子町がある。そこに真宗大谷派の法龍寺というお寺があるが、ここは如信上人終焉の地と伝えられるご旧跡である。
如信上人(1235-1300)は親鸞聖人の孫にあたり、親鸞聖人より法義を受けられ、関東でご教化をされたとされる。奥州大網(現在の福島県石川郡古殿町、一説に西白河郡泉崎村)を教化の拠点として大網門徒を形成。布教中に急病にかかり66歳で示寂されたと伝わっている。
せっかくなので少し遠方になるが、奥州大網をめざす。ここからさらに車で約1時間ほど走ったところだ。如信上人の存命中は徒歩での移動だったかと思うと当時の人々のご苦労がしのばれる。
細い道を上がっていった所に如信上人大網遺跡がある。
題号は釋彰如(大谷派23代法主大谷光演)とある。
背面には何やら由来が彫ってあるが、漢文であり苔が多く簡単には読めなかったのが残念であった。最後に「昭和3年12月18日 求道會舘及求道學舎 近角常觀撰并書」とあったので近角常觀が記したものだということは分かった。こうした記録も誰かが残そうとしないと時代と共に風化してしまう。
少し北側には大網庵という古民家を移築した集会所がある。
如信上人が拠点とされた大網の地。どうしてこのような場所でと思わずにはおれないが、上人の息吹を感じることができる場所である。