1879(明治12)年3月31日付の龍念寺代15代住職である青木慈善[1827(文政10)年~1888(明治21)年]が残した書物に、龍念寺の創建時期を「嘉禄年間(1225年~1227年)」とする記載が見られる。
また、1898(明治31)年5月20日付の龍念寺代16代住職、青木義参[1851(嘉永4)年~1925(大正14)年]が残した書物には、龍念寺の創建について、開基である龍念が1226(嘉禄2)年に下野高田専修寺に於いて宗祖親鸞聖人の弟子となり龍念という法名を賜わり1248(宝治2)年に青木山の南方に御堂を移転したとある。
嘉禄2年は真宗高田派の略年表によると、親鸞聖人54歳、高田専修寺を創建した年となっている。第16代義参の記述が本当なら当寺は宗祖親鸞聖人の直弟子の系譜である、となるが真相は分からない。
しかしながら、江戸末期から明治にかけて先代住職がどのような認識で龍念寺の創建を考えていたのか知ることができる面白い資料だと思う。真偽のほどは別として先代達の思いは大切にしたいと思う。